Q4.最初に彫刻を学んだということですが、あなたの作品は建築の一部でもあるということでした。作品『Flow』は、アート作品でもあり建築の一部でもあるような、異なる領域を横断しているのが特徴的ですね?
そこが面白いところです。過去2年の間に展示してきた作品は、デザインや建築雑誌に掲載されてきました。
それらはある専門分野において、同時に異なる見方を引き起こします。建築家は建築家としての視点でモノを考えます。というのも彼らはアーティストではないからです。僕は常にアーティストとしての視点からスタートします。それは常にそうです。
なので、僕の作品はアート作品、アートインスタレーションであることは明確です。
しかし同時に、作品には建築との関わりも生じてきます。大型彫刻作品は、建築のプロトタイプであるとも言えます。異なるスケールではありますけどね。こうした見解こそ、YCAMで磯崎新氏にお会いして話をした時に、互いに理解し、完全に一致した点でした。
現在YCAMで行っているような類の展覧会のよいと思う点は、人々がどのように作品とインタラクションするかわかることです。
テクノロジーについて興味深いことは、(作品が観客に与える)文化的な効果なのです。長らく独裁政権国家であったスロベニアで作品を展示した時、人々は作品とインタラクションすることをしばらく怖がっていました。「壁に耳あり」ではないですが、そこかしこに国家スパイがいた国でした。
作品とインタラクションすることが、プライバシーの侵害かのように思われていました。しかし一方で、ロサンゼルスで展示した際には、作品に対する反応はとても積極的なものでした。
異なる文化には、テクノロジーに対して異なるインタラクションがあることがわかり興味深いです。
Q5.日本で展示してみて、鑑賞者の反応はいかがですか?
日本人はテクノロジーに対してとても幸せな関係を築いていると思います。日本の携帯電話を見てください。様々な色のバリエーションがあり、カスタマイズしたり、装飾を施したりして、決してデフォルトの状態ではないですよね。タクシーだってそうです。
テクノロジーに対してとても開かれていて、テクノロジーと友達になって、あたかも身体の一部になっているかのように見えます。僕にとってはとても好ましく思われます。
日本を含めたアジアの人々はハイテクノロジーへの嗜好と同時に、細かさや精密さを好む傾向にあるので、僕の彫刻作品に対してはヨーロッパで展示するよりも反応が高いです。
また、展覧会は大きな試験的機会となります。同時に、僕が現在進めたいと思っているインタラクティブな建築ファサードのような、より大きな建築的プロジェクトへの足がかりとなります。こうして展覧会での展示から学び取ることとそれを次の作品に活かすことは同時に行うべきでしょう。
というのも、生活・人生というものは一人の人間、一人のアーティストが想像するよりも、ずっと残酷で詩的で情緒豊かなものだからです。だから外に出て試される必要があります。何に興味があるのか、あるいはこれから世界がどうなっていくのかなどを色々な人たちと話し合うべきでしょう。
僕は世界が変革しつつあると思っています。新しい影響を与えうるものがどんどん現れています。アーティストとして非常に興味深いことは、それらをツールとして活用して、どこまで進むことができるかを目にすることです。
そしてテクノロジーがどうやって僕らの環境や身体の一部に組み込まれ、そこにどのような詩が見出されるのか。僕が制作する作品がもたらすようなインタラクションは、テクノ的な詩と言えるでしょう。
Q6.文化庁メディア芸術祭についてどう思いますか?私たちのフェスティバルでは、メディア芸術(Media Arts)という言葉を用いています。そこにはアート部門のみならず、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門も含まれています。
任天堂のゲームなどが含まれていますよね。こうした現象はまずヨーロッパにはないことです。
このフェスティバルでは、それぞれの領域間の境界にある垣根がずっと低いんですね。でもこの点について、僕は非常にうれしさを覚えます。と言うのも、多くの展覧会はその規範が異なっていたとしても、どの展覧会でもプロジェクトの50~60%は類似しています。
僕がテクノ的な詩に傾倒し、日本の人たちはテクノロジーと身体について思いを巡らせて、任天堂はより多くの製品を売りたいと思っている。しかしここには多くの類似する点があるのです。メディア芸術祭がその類似する点に焦点を当てていることに興味深さを覚えます。
もちろん違いは多々ありますし立脚点はそれぞれ違いますが、類似性への焦点化ということが1つ挙げられるでしょう。
政府によって費用が賄われているからか、マンガはとても礼儀正しく大人しく感じます。マンガは僕にとってマンガではありません。僕にはどうすべきかよくわかりませんが、任天堂やコマーシャルはアートと別分野だからと区別するのではなく、規範がオーバーラップする部分を見つけて関係性を構築することは重要でしょう。
例えば来年のシンポジウムなどで、僕のようなアーティストと任天堂の開発者を呼んでみるのも面白いかもしれませんね。どこに同意できて、どこに同意できないのかなどを話し合うとかね。差異はもちろんあると思いますが、類似点もあると思います。
このようなフェスティバルでは、こうした議題を人々に投げかけることが大事でしょう。なぜかと言えば、アートが自らアートですと主張してホワイトキューブにおさまるわけにはいかないからです。むしろ人々との関わりを求めています。
表現がどこからゲームになって、どこからアートやプロダクトになるのか。こうした境界を越えて楽しむことが大切でしょう。
『Flow 5.0』作者インタビュー[1] [2] [3] [4]